父が遊んでくれた唯一の思い出 城崎へ
戦中派の父は、今の父親と違いというか、うちの父がそうだったのか、そのあたりは定かではないが、およそ、子供に用事をいいつけるが、遊んでくれた記憶がない。
まだ、幼い頃に、一升とっくりを持って、酒を買いにお使いに行かされたことなど、まだ記憶にある。
そんな父が、私と遊んでくれた唯一の思い出。
それは、もう半世紀以上も昔のこと。
時は、昭和20年代の半ば過ぎ。
うちは貧しかったので、どこかで借りてきたのであろう。
その頃では、珍しいオートバイに乗せてもらい、住んでいた街から、小一時間の城崎温泉に行った記憶がある。
そして、別に、温泉に一泊したわけではないが、猿山公園というところに行った。
そこには、たくさんの猿がいて、私には猿との対面も初めてで、嬉しくて、餌をやって遊んだものだ。
そして、ことのついでに、山陰の海を見せてもらった。
海を見たのも初めてのことだった。
早朝に父の背中にしがみつき、城崎に行き、帰りは暗い夜道を、これまた、眠いのをこらえて、必死で父の背中にしがみつき、夜遅く家に帰ったことがあった。
それが、父が私と遊んでくれた、最初で最後。
後は、仕事人間で、子供には、厳しい父だった。
すぐに父の日だが、私には義父も含めて父と言える人はもういない。
そして、想う。
そんな、父が懐かしい。
以下、余談。
私は、私なりに仕事人間だったが、子供とできるだけ触れあう時間を作ったつもりだ。
今は、世間の絆だけではなく、家族間の絆も薄くなってきている部分がある。
若いお父さん。
できるだけ、子供さんと一緒に遊んであげてください。
そうすれば、勉強などどうでもいい。
そうすれば、人とのコミュニケーションがとれる、立派な大人になると思います。
まだ、幼い頃に、一升とっくりを持って、酒を買いにお使いに行かされたことなど、まだ記憶にある。
そんな父が、私と遊んでくれた唯一の思い出。
それは、もう半世紀以上も昔のこと。
時は、昭和20年代の半ば過ぎ。
うちは貧しかったので、どこかで借りてきたのであろう。
その頃では、珍しいオートバイに乗せてもらい、住んでいた街から、小一時間の城崎温泉に行った記憶がある。
そして、別に、温泉に一泊したわけではないが、猿山公園というところに行った。
そこには、たくさんの猿がいて、私には猿との対面も初めてで、嬉しくて、餌をやって遊んだものだ。
そして、ことのついでに、山陰の海を見せてもらった。
海を見たのも初めてのことだった。
早朝に父の背中にしがみつき、城崎に行き、帰りは暗い夜道を、これまた、眠いのをこらえて、必死で父の背中にしがみつき、夜遅く家に帰ったことがあった。
それが、父が私と遊んでくれた、最初で最後。
後は、仕事人間で、子供には、厳しい父だった。
すぐに父の日だが、私には義父も含めて父と言える人はもういない。
そして、想う。
そんな、父が懐かしい。
以下、余談。
私は、私なりに仕事人間だったが、子供とできるだけ触れあう時間を作ったつもりだ。
今は、世間の絆だけではなく、家族間の絆も薄くなってきている部分がある。
若いお父さん。
できるだけ、子供さんと一緒に遊んであげてください。
そうすれば、勉強などどうでもいい。
そうすれば、人とのコミュニケーションがとれる、立派な大人になると思います。
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